東京高等裁判所 平成2年(ネ)4333号 判決 1991年8月28日
控訴人 本間隆平
右訴訟代理人弁護士 松井道夫
被控訴人 遠藤金治
右訴訟代理人弁護士 片桐敏栄
遠藤達雄
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
理由
一 請求原因1及び3の各事実は、当事者間に争いがない。
被控訴人は、同2の事実を否認するが、本件約束手形である甲第一号証の表面及び裏面の被控訴人名下の指印は、原審における鑑定の結果により被控訴人の右手示指によって顕出されたものであることが認められるから、被控訴人作成名義部分については真正に成立したものと推定され、右甲第一号証(その余の部分は記載自体)及び原審証人外山美好の証言によれば、被控訴人が本件約束手形の表面に手形保証としての署名をするとともに、同手形に裏書をしたことが認められる。右認定に反する原審における被控訴人本人の供述は、前記各証拠に照らし、措信しがたい。
二 そこで、本項以下、抗弁につき検討する。
1 まず、前記甲第一号証、原審証人外山美好、同大泉光雄、同大滝忠行(一部)の各証言によれば、被控訴人が本件約束手形に署名指印し、これが第三者に交付された経緯につき、次の事実が認められる。
(一) 本件約束手形は、もと訴外館腰鵬三が所持していた数通の約束手形のうちの一通であり、統一手形用紙の振出人欄に株式会社東拓技研の記名と代表者印の押捺がなされ、支払地及び支払場所の記載があるのみの白地手形であった。
(二) 昭和六二年三月ころ、訴外外山から金融の依頼を受けた訴外大泉光雄(以下「訴外大泉」という。)は、訴外大滝に話を持ちかけたところ、同人から、同人が右館腰から借用していた株式会社東拓技研振出の約束手形二通の交付を受け、融資のために、しかるべき人物に裏書をさせるよう求められた。訴外大泉を介して右のうち本件約束手形を受領した訴外外山は、当時情交関係にあった、農業を営む七三歳の被控訴人に「金が必要だから書いて下さい。」とか「質屋から三味線を出すのに男の人の名前が必要だ。」と告げて、本件約束手形に署名指印させた後、自ら被控訴人名義の三文判を押捺した上、同手形を、訴外大泉とともに訴外大滝方に持参した。
(三) 訴外外山は、同年四月初めころ、訴外大滝を介して、金融業者の訴外村上直より一〇〇万円を借受け、利息及び同人に対する訴外外山の債務などを差し引いた九〇万円余を受領したが、訴外大滝に対し、本件約束手形により更に二〇〇万円から三〇〇万円ほど用立ててほしいと依頼し、訴外大滝は、数日中に用意する旨約した。その際、本件約束手形の金額欄等は未だ白地であったが、右白地部分は、訴外外山の要請により、追加融資がなされてから、その金額等に応じて補充することとされた。その後、訴外大滝は、被控訴人の印鑑証明書と委任状がなければ、本件約束手形によっては、それ以上の融資を受けるのは困難であるとし、同月一五日ころ、レストラン「ソワール」に被控訴人及び訴外外山を呼出して、被控訴人からこれらの書類を入手しようとし、また、被控訴人に別個の手形への裏書を求めたが、被控訴人がこれを拒否してその場から逃げ出したため、目的を果たせなかった。
以上の事実が認められるところ、前記証人大滝忠行の証言中、右認定に反する部分は措信しがたい。
2 右の諸事実を総合すると、本件約束手形に署名指印した際、被控訴人が、それが手形であり、何らかの形で訴外外山の金策に利用されることを理解し、予想していなかったとまでは認めがたい。しかし、被控訴人の行動等に照らせば、被控訴人は、同人自身が手形保証人、裏書人として現実に債務を負担することまでは了解していなかったとも考えられる。
この点につき、被控訴人は、白地補充権濫用の抗弁を主張する。しかしながら、本件約束手形の振出人は、株式会社東拓技研であるところ、右振出人がその白地部分の補充権を付与しなかったとか、一定の限度内の補充権のみ付与した旨の主張立証はない。そして、被控訴人の右抗弁の基礎となる事実をみれば、結局のところ、前記のとおり、被控訴人は、白地部分の補充の如何にかかわらず、自らは手形上の保証人や裏書人として債務を負担しないものとして、本件約束手形に署名し訴外外山に交付したというものと考えられる。したがって、右の点は、別個の抗弁として主張するのは格別、本来被控訴人主張のような補充権濫用の問題ではないと解される。
三 次に、被控訴人は、錯誤や詐欺の主張をするが、前項記載のところからすれば、右主張を認めるには足らないといわざるをえない。
四 そこで、原因関係欠缺の抗弁について検討する。
1 控訴人が訴外大滝との間で、原判決別紙物件目録一ないし四記載の土地を売り渡す契約を締結し、同人から右売買代金の一部として交付を受けたとして、本件約束手形を所持していることは、当事者間に争いがない。右事実に加え、≪証拠≫並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右証人大滝忠行及び控訴人本人の各供述中、右認定に反する部分は措信しがたい。
(一) 二項1(三)記載の事情から、本件約束手形を担保にしての、右村上からのそれ以上の融資は不可能となったが、訴外大滝は、昭和六二年四月二七日、訴外外山に対し、同月三〇日までに約束の金員を用立て、支払う旨の念書を差し入れた。
(二) 一方、そのころ、訴外大滝と、同人方をしばしば訪れていた金融業者である控訴人との間で、本件約束手形を売買代金支払に当てる形をとって、控訴人所有の原判決別紙物件目録一ないし四記載の各土地(以下「本件一ないし四の土地」という。なお、本件四の土地は、地目が田であったため、控訴人は、所有権移転請求権仮登記を有していたものである。)を売買することが計画された。そして、同月末ころ、訴外外山も巻き込んで、本件一ないし四の土地を控訴人から訴外大滝に譲渡し、さらに右のうち本件四の土地を訴外大滝から訴外外山に転売することになった(訴外外山には、四筆全部を転売する旨の話が持ちかけられたが、実際に契約がなされたのは、右土地のみであった。)。各売買の代金は、前者が四筆全部であり、後者(訴外外山への転売)が一筆のみの売買にすぎないのに、いずれも四〇〇〇万円とされている。そして、内三〇〇〇万円の支払は、金額三〇〇〇万円、支払期日同年六月二〇日と補充された本件約束手形を各契約締結と同時に売主に交付することによって行うことが条項上特定、明示され、残金一〇〇〇万円は同月三〇日に支払う旨の各売買契約書(前者が甲第二号証、後者が乙第二号証)が、作成日付をそれぞれ同年四月一六日、同月一〇日に遡らせて作成された。そして、右各土地の登記名義(但し、本件四の土地は、前記所有権移転請求権仮登記)は、各契約書上は、売買代金完済のときに移転する旨明示されているにもかかわらず、同年五月二日付けで控訴人から訴外大滝に、本件四の土地については、さらに同月八日付けで訴外大滝から訴外外山に移転された。
訴外外山は、土地の取得は全く望んでおらず、右一〇〇〇万円を支払う資力もなかったが、追加融資が実行されないのに本件約束手形が返還されないばかりか、訴外大滝らによって、手形金額が前記融資額をはるかに超えた三〇〇〇万円と補充されてしまったため困り果て、(三)項記載の売買も含め、訴外大滝や控訴人のいうままに従った。控訴人は、訴外外山への転売の事実も、同人が土地取得を望んでいないことも知っていた。また、訴外大滝にも、右各土地を買い受ける必要はなく、控訴人との間に従来からその旨の話い合いもなかった。
(三) 本件一ないし三の土地については、同年六月八日付けで訴外大滝から訴外斉藤千枝子に所有権移転登記がなされ、本件四の土地については、同年五月二二日付けで訴外外山から訴外風間慎一に、同日付けで同人から訴外服部弘に、それぞれ前記仮登記移転の附記登記がなされている。訴外外山と右風間間の売買契約は、訴外大滝の紹介によりなされたが、その売買代金は、同人と訴外外山間のそれの一〇分の一以下である二五〇万円であった。訴外外山は、これを受領した旨の領収書は作成したが、訴外大滝に対してはともかく、訴外外山自身には、五〇万円程度しか支払われていない。また、右契約には、売主は、同年七月八日までに、三〇〇万円で買戻しできる旨の約定があったが、右風間は、契約後間もなく姿を消し、連絡が取れなくなった。なお、右契約には、右土地は隣接する本件一の土地と共同で利用する旨の特約がある。
なお、本件一ないし三の土地は、昭和六三年一月一八日付けで、前記斉藤から控訴人に登記名義が戻されているが、その事情は明らかではない。
(四) 控訴人と訴外大滝とは、昭和三六、七年ころから貸借関係があり、控訴人の訴外大滝に対する融資の未回収分は約三億円もの多額にのぼり、控訴人は、当時の三年間で一五〇万円程度の弁済しか受けていなかった。訴外大滝は、不動産業を営んではいるが、無免許であり、これといった資産もなく、訴外外山ともども、前記売買代金のうちの一〇〇〇万円の支払能力はなく、控訴人も十分これを承知していた。控訴人は、本件一ないし四の土地は、産業廃棄物処理場として許可されれば、高額で売却できる土地である旨述べているが、長年周辺住民の同意が得られず、右許可はなされておらず、現在まで有効利用しうる状況にはない。
また、控訴人は、貸金の取立てのため、しばしば訴外大滝宅を訪問しており、訴外大泉が訴外大滝から本件約束手形の交付を受けたときも、訴外大滝から訴外外山に約一〇〇万円が交付され、同人が二〇〇万円ないし三〇〇万円程度の追加融資を依頼したときも、訴外大滝宅に立ち寄っていた。
(五) 本件約束手形の振出人である株式会社東拓技研は、昭和六二年三月二五日に、、その手形が第一回の不渡りとなり、同年四月二〇日、銀行取引停止処分を受けた。控訴人は、遅くとも同年四月末か同年五月初めころには、右事実を知ったが、支払期日における本件約束手形の支払拒絶が明らかであり、現金一〇〇〇万円の支払も未了であり、その支払の見込みもないのに、前述のとおり、所有権移転登記手続を進め、また、訴外大滝や訴外外山から第三者への売買が未了であったのに、訴外大滝との売買契約を解除して登記名義回復を図ることもなく、本件一ないし四の土地を保全する手続も全くしなかった。その一方、前記村上からの融資の件が不首尾に終わる同年四月一五日の前に、訴外外山が訴外大滝に交付した名寄帳によって、被控訴人の資産を把握していた控訴人は、同年五月九日ころ、本件約束手形の支払場所である銀行から、株式会社東拓技研の銀行取引停止処分などについての証明書を取付けるなどして、本件手形金を被保全債権として、被控訴人所有の不動産に対する仮差押命令申請の手続を進め、同年六月一日に右申請をした。控訴人は、本訴提起後も、本件の経過に関し、訴外外山に「事実証明書」と題する書面二通(甲第四、五号証)を書かせ、また、訴外外山の供述録取書の一部(甲第六号証)の中の自己に不利益な部分に自ら線を引き、それらの訂正を同人に行わせるなどした。
2 以上の事実を総合すると、本件約束手形の金額欄等は、控訴人と訴外大滝との本件売買の話が浮上するまで白地であったところ、契約成立の途上、同人らによって補充されたものであり、また、右売買は、資力がない上、本件一ないし四の土地の買受けを必要としてもいない訴外大滝、訴外外山が買主となっていること、右手形の振出人や訴外大滝の前記のような状況により、通常の方法での売買代金決済が期待しえないにもかかわらず、契約条項にも反して、右決済のないまま登記名義の移転が急がれたこと、前記売買の価格と、訴外外山、訴外風間への各転売価格がそれぞれ大幅に異なることなど、その内容も経過も極めて不自然、不合理なものである。そして、控訴人は、訴外大滝と関わることによって、本件約束手形をめぐる前認定のような経過を本件売買前から見聞し、被控訴人の資力にも関心を寄せていたこと、訴外大滝との従来からの関係、売買後の控訴人の対応状況、本件一ないし三の土地が控訴人名義に戻っているにもかかわらず、なぜ、どのような経過でこのようになったのか、控訴人が合理的な説明をしていないことなどの諸点をも合わせ考えると、右売買が、真実本件一ないし四の土地の所有権等を移転する意思をもって行われたとは考えにくい。
以上の点を総合すれば、右売買契約は、控訴人と訴外大滝との間において、たまたま訴外大滝のもとに預けられていた本件約束手形を利用して、白地補充にかかるその手形金を被控訴人に支払わせるため、本件約束手形の原因関係を作出する目的で仮装したものというべきである。本件四の土地については、前記仮登記は控訴人名義に戻っておらず、また、訴外外山以降の転売による譲受人との関係も明確ではないが、右土地は他の土地と一体として利用されるべき土地である上、訴外外山は、控訴人らの意のままに契約に加わり、やむなくこれを買い受ける意思を有したとしても、一時的に仮登記名義を取得しただけで、大滝の関与のもとに直ちに訴外風間に名義移転されて実質的に右土地を取得するところとならず、右両者間の内容も前記のとおり不自然なものであって、右土地のみが真に転売されたとは考えにくい。したがって、これらの点も、右認定を左右することはできない。
3 そうすると、控訴人は、本件約束手形を保持し、手形上の権利を行使する実質的理由を有しないのであって、右手形を所持しているからといって、被控訴人に対し、手形金を請求することは、権利の濫用であり許されない。
五 以上の次第で、控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当である。よって、本件控訴は理由がないからこれを棄却する
(裁判長裁判官 丹宗朝子 裁判官 松津節子 原敏雄)